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「わたしの小さな旅」同好会

[団体・任意団体]

雪女始末記(4) 五福 長光寺 [街のお宝、地元遺産]
2008-03-04 14:05:40
早百合姫の魂が今も迷っていて雪女として現われたのか、二本榎に向かってお経をあげた。川風が心地よく吹き抜けていった。 私は幼いとき、母親から仏様にまいりお経を読むことを教えられた。仏飯箱に入ったオボクサンを持って、神棚から床の間、仏壇には三つ、そして父の写真に供えた。ローソクに火を灯し分からないままお経のふりがなを拾読みしたものである。恐いときにお経を上げると悪霊はお経の功徳で退散するから、お経を上げなさいと教えられた。小泉八雲の小説「耳なし芳一」の話を読んで納得したり、当然のことながら人が亡くなったときお経を上げれば成仏する。そして学校で試験のある日は必ず仏様にまいり、お経を上げて行けと言われた。そしたら必ず仏様が必ず守ってくださり、必ず良い成績を取ることが出来ると教えられた。それからは、試験の時には必ずお経を上げて家を出た。問題集を前にしてお守りください」と心のなかで祈った。その効果かどうかはよく分からないが、小学校から高校までわりと良い成績であった。また社会に出てからも社内の昇格試験や国家試験など、数多くの試験を受けたが一度も不合格になった事はなかった。山のなかに~人いて心細いときや、火の玉と出会ったときもお経を上げていた。お経は必ず自分を守り助けてくれると言う安心感があった。神や仏やお経など信ずるか信じないかは、人それぞれの自由である。信ずることによって自分は大きな安心を得てきた。だからこの科学の発達した現代に、雪女と出会うなどという人の体験できない事象を体験したのだと思う。早百合姫のお墓があったらお参りして上げよう……そんな気持ちで五福をめざした。富山県下の約4000寺社にお参りしようと思い立った月の月末に、早百合姫の雪女と出会ったのも何かの因縁か。三年前の寺社巡拝の折りに訪ねてから四年目である。ここら辺りであろうかと見当をつけて行ったが見当らない。店先の道路で床屋さんの奥さんが掃除をしておられたので尋ねた。「ちょっと待って、調べて上げるから」と、奥から五福郷土誌を持ち出して調べてもらってやっと目指す寺にたどりついた.…つづく 藤田勇信著「私の小さな旅」より
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