2008-08-02 17:20:32
栂野家についても書かれています。彦八さんの先祖は婦負郡杉山で橘家を名乗り、戦国時代末期の天正年間(1573年ごろ)に四方に移住する。荒地を開き漁業を始める。その後今川義元の武将である栂野安昌が入り婿したことで、栂野性が誕生したらしい。また6人の家来を別々に住まわせて漁夫とさせ、近隣の村の次男三男をこの地に分家させ漁業を営ませた。これが栂野家の歴史のようです。また、四方の地名の由来としては、しだいに戸数も増えたため、地形(住む場所)が「四方に広がっていった事から四方」の地名が生まれたとのこと。また「潟が4つあったため四潟(四方)」となったとの説もあるそうです。
彦八さんは栂野考昌といい栂野家7代目に当たるとのことです。
ところで栂野性は富山ではあまり聞きません。栂野安昌は駿河国、遠江国、三河国の3カ国の69万石の今川義元の家来ですが、彼が何故、富山の四方にたどりついたのでしょうか。義元は1560年に桶狭間で織田信長に討たれました。今川家はその子氏真に継がれますが、弱小化し京都風(お歯黒イメージ)の今川家は永禄12年(1569年)、戦国大名としての体裁を失い滅びます。今川義元の武将である栂野安昌が四方に来たのはその後になるようです。
富山に近い新潟県の長岡藩には、幕末期の凄い男で、かの有名な河井継之助がいた。彼の妻の実家が栂野性で、栂野家は栂氏から出たものであるらしい。また栂氏は三河や駿河との繋がりもありそうです。越後長岡藩の初代藩主牧野忠成は元和6年(1620年)に堀氏から長岡藩を引き継いだため、長岡栂氏や栂野氏と四方の栂野家とは係わりがないようです。
つづく 斎藤 一