2008-08-02 17:31:48
わたしは弥九郎さんを知って安堵た。あなたは人格も立派で富山が誇って良い先達だ。弥九郎さんを知って、は幕末動乱期に活躍した県人が見当たらず困っていたわたしを大変に元気付けてくださった。
大鳶に戻ろう。
なだめすかし、おとなしくなった常願寺川も「立山鳶崩れ」の危険性をいまだ含み持っているようだ。富山平野に降りてくるころには、川底は周辺の民家の床上よりも高い。もし竹内さんが調べられた跡津川断層が、眠気眼で起き上がり、そのピストルを合図として、ハンマーの鉄球を振りまわしながら、短距離ランナーの常願寺川がスタートしたら、幕末のように我々は富山から目が離せなく、そして表舞台への参加が難しくなってしまうはずだ。それを考えると少し憂鬱になるが。
この常願寺川には先達の最も凄い「たくみの知恵と技」が存在する。これは全国に誇っても間違いないとわたしは思っている。
この「たくみの知恵と技」は、常願寺川横江頭首工を守る(常願寺川沿岸)農地防災事業所の元所長でもあった友人に教えてもらった。その人は薩摩の生れで、NHK大河ドラマの篤姫と同郷です。いま九州において農水省にGIS(コンピュータを用いて地図システム)を一生懸命に浸透させようと飛び回っている人だ。長州ですが伊藤博文のようで、メールを読むと微笑ましく思う。富山では山と川、九州では川と防波堤の海と格闘しているとのことだ。わたしが北前船に興味を持つと、いろいろな友人が文明の海へ引き込まれていくようで、何か最近は面白く感じる。
私は貧乏な漁師の末裔で農業は苦手だ。農家には叱られますが、種をまき、実るまでは淡々とした毎日。わたしは田や畑の手入れの苦労は並大抵ではないことは薄々と感じはしますが実感がないようだ。その淡々の日々を古風なしきたりを再再度持ち出して、規則や罰則の充実に当てる。日本においては、この農業の文化が弥生時代からいまなお面々と続いている。そこが日本人の精神の源になっていることは誰しもが知っている事実だが。
しかしわたしには漁師や廻船問屋衆のように「板子一枚下は地獄」「板子一枚上は極楽」のもう一方の日本人の潔い精神や生き様が好きだ。しかし農業産業と比べ売上が十分一の漁業はいつも蚊帳の外を感じる。農水省の帆と舵の方向が農業の方にに向いているように感じるが、このように思うのは、わたしの視点がずれているからだろうか。
再び世界に誇れる富山の「たくみの知恵と技」に戻りろう。
この九州の友人が富山で受け持った地域が、常願寺川を富山平野の入り口の首根っこで なだめる すかす 横江頭首工。それと数キロ下流にある常願寺川の水を富山平野の東と西に分水する施設が関係する。常願寺川の水は常東と常西の農業の土地改良区も係わるためか、以前、この友人が常東の事務局長さんを紹介して下さった。そのときに伺った話しは凄かった。
つづく 斎藤 一