北前船をたのしむ会
アイコン

北前船ITの会

[団体・任意団体]

北風荘右衛門-2 [街のお宝、地元遺産]
2008-08-12 18:05:14
「出船によい風は、入船にわるい」の時代の和船は、こぞって兵庫の北風家に立ち寄ったとのこと。北風家には毎日300人分もの食事が用意され、西出町の船乗りや沖仲仕たちは「北風様でご馳走になるか」とやってきた。給仕女が20人ばかりいて、まず風呂に入れてくれて、食事場で一汁三菜に銚子一本が供されたという。 
また、突然の雨に備えて、通行人が勝手に使える雨傘が門前に山と積まれていた。

荘右衛門貞幹は、「腰ひくくやってくる者には、うるさい顔をするな。荷主、船頭の気風をたいせつにせよ」というのが家訓(北風遺事より)だったそうで、北前船の船乗りたちは宿泊料も無料というのだから、業界での人気は絶大なものであったらしい。「難破したとき頼りになるのは、金毘羅様と北風様」と人々は口にした。「板子一枚下は地獄」を肝に生きている人々への感謝と ねぎらい の行為であったようだ。
しかし荘右衛門は、そこから全国の人やモノの動きや流れの変化をつかみ、それらの情報から、老舗大阪の廻船問屋と渡り合った、したたかな商人でもあったようだ。それは既得権商いの大阪商人に対抗する、地方の廻船業が、今に通用する情報戦略でもあったようだ。

米国グーグルは世界を相手にする検索サイトのIT企業。従業員の食事は支給だそうだ。数千万を得る高額社員も食事の「ただ」は魅力らしく、バイキング形式の食事の弾んだ会話から明日のヒントが飛び出すようだ。

しかし北風家は破産した。富山の東岩瀬の廻船問屋の馬場家が廃業した時、いまの2000憶もの資産があったようだが、北風家の繁栄時の総資産は、いかばかりか。想像ができない。
ところで加賀金沢とは米商売で繋がりがあったのか、倒産時、金沢の北陸銀行(富山第十二国立銀行か)からも借り入れていたようである。北海道とも関りが深い北陸銀行が、何とかできなかったものかと、経済音痴の富山県人の私などは、そのように思ってしまう。
                                      斎藤 一
 
※ユーザー登録をして、ログインすると記事にコメントしたり、
 ユーザーを更新お知らせ登録したり、メッセージを送ったりすることができます
登録はこちら
※地図情報はありません。
pagetop